::夏の花::


彼女の視線の向こうには、大輪の花が咲き乱れていた。

 広げた本には、文字がきれいに並んでいる。
 でも、なぜだかそれを解読する気にはなれない。
 退屈だ。
 小さくため息をついて蔵馬が顔を上げると、斜め前に座っている雪菜がまばたきも忘れたように、窓の外を眺めていた。机にひじをつき、色白の手の上に小さな頭をのせながら彼女が見ていたのは、窓枠に区切られた空間に咲き誇る、日光を身にまとった花だった。
 盆もすぎたというのに一向に弱まる気配をみせない日差しの中、まるで恋焦がれた娘のように、太陽をじっとみつめる花。
 なるほどね。
 何となく、蔵馬にはわかるような気がした。
 空に浮かぶ彼女の故郷では、こんな花を見ることはできなかったのだろう。
 凍てつく大地の上で、ひっそりと暮らし続ける排他的な種族。彼女もその一員だ。
 けれど、複雑な生い立ちを持つ彼女にとっての故郷は、決して懐かしいだけのものではなく、もしかしたら、辛い思い出の詰まった場所なのかもしれない。
 蔵馬は、全身の体温がすうっと下がっていくような感覚をおぼえた。
 いささか冷房の効きすぎたこの図書館で、問題集にかかりっきりになっている桑原や、表紙が子羊の皮でできたぶあつい本を読みふけっている海籐は気が付かなかったが、蔵馬にそんなことを思わせるほど、彼女は熱心に、華奢な体から絞り出したような、ありったけの羨望と憂いの混じった眼差しで、食い入るようにその花を見つめていた。
「おい、できたぞ」
 笑みを浮かべた桑原から、蔵馬は差し出されたノートを受け取る。彼が与えた課題を全て自力で征服した、という証。
「どれどれ……お、いいんじゃない?」
 蔵馬の横からノートをのぞきこんでいた海籐が素直に感心してみせると、桑原は照れたように頭をかいた。
 そうだね、よく出来てると思うよ。と、蔵馬も正直な感想をもらしてみせる。
 桑原のにわか家庭教師としてつき合わされてからもう一年以上たつが、蔵馬も驚くほどの成長ぶりだった。
 まったく、おそろしい男だ。
 桑原がどれだけ勉強をさぼっていたのかはわからないが、持ち前のガッツと根性で乗り切って見せた彼に、蔵馬は内心舌を巻く。
「これで今日の分は終わりだぜ! なあ、どっか行かねーか?」
「この炎天下に?」
 クーラーが壊れた自宅からここに避難してきた海籐は、どうにもこの場を動く気がないらしく、眉間にしわを寄せている。
「暑くていーんだよ、夏なんだから。雪菜さんはどうですか?」
「え…何のお話ですか?」
 ふいに自分の名前を呼ばれた雪菜が、ぱっとこちらに顔を向けた。
「どっか行きたいとこありますか? まだ2時だし、どこでも行けますよ!」
 いつの間にか、海籐の意見は却下されていたらしい。
 どこかに行きたいのではなく、彼女と行きたいだけなのだろう。
 相も変らぬ桑原の恋心に、蔵馬は頬をゆるめた。
「みなさんどこかに行かれるんですか? だったら私はもう少しここにいますから、皆さんで行ってきてください」
「え? ど、どこか体調でも悪いんですか!?」
「あれを見ていたいんですよね」
 あわてふためく桑原を尻目に、蔵馬は窓の外に広がる花壇を指差す。
「ひまわり?」
 桑原がすっとんきょうな声を出したものだから、隣に座っている雪菜は、恥ずかしそうにうつむいてしまった。そんな彼女に、遠目でひまわりを眺めながら、海籐が尋ねる。
「へえ、雪菜ちゃん、ひまわり好きなの?」
「ええ、好き、というか、あまりに見事に咲いているので……。だからもう少し、このまま見ていたいんです」
 うつむいたまま、控えめに返事をする雪菜。
 出会った頃から変わらぬ、そのいじらしいまでに謙虚な彼女の姿が、今日は妙にひっかかる。もちろんそれは偽りのない彼女自身の姿なのだろうが、だからこそ余計に蔵馬には気になった。
 誰に対しても丁寧で低姿勢なこの彼女の姿が、もしも、排他的で抑圧された生活の中で培われたものだとしたら。
 もしも、彼女が故郷でそういう扱いを受けていたのだとしたら。
 もしも、その中で生きるすべとして、彼女が手に入れたものだとしたら。
 それはひどく悲しいことだと、蔵馬は思った。
「私、夏って大好きなんです。ひまわりも、楽しみながら精一杯生きてるって感じがして。でも、夏が終わるとすぐ枯れてしまうんですよね」
「そう言われてみると貴重だね。夏も、ひまわりも」
 少し悲しげに微笑む雪菜を気遣うように、海籐が同意する。
 楽しみながら、精一杯生きる。
 それはきっと、長い間彼女が求めていた生き方に違いない。
 過去はどうあれ、この場所でやっと自分の望む生活を手に入れたようにみえる彼女。
 この安息の日々がいつまで続くかはわからないが、少しでも長く、できればずっと、陽のあたる場所で生きていってほしい。
 そんなことを考えながら、蔵馬が口を開く。
「じゃあ、上の喫茶店で休憩でもしましょうか。あそこからでも、ひまわりは見えますし」
 そうだな、と海籐がつぶやくと、それきり無言のまま、一行は図書館に併設されている喫茶店へと向かった。
 海籐と歩く蔵馬の後ろに、少し距離を置いて雪菜と桑原が並んでいる。
 館内の自動ドアを抜けると、たちまち全身を包みこんだ湿った空気が、あらためて今日の暑さを思い出させる。
 そのまま二階に通じる階段をゆっくりのぼっていると、蔵馬の背後から、小さな声が聞こえてきた。
 それは聞きなれた、いつもの陽気な彼の声ではなく、ひどく真剣な、けれど優しく穏やかに人の心を包み込むような、そんな男の声だった。
「図書館の人に頼んで、秋になったらあのひまわりの種をもらいませんか? それでうちの庭にまくんです」
「種ですか?」
「そうです。ひまわりは夏が終われば枯れちまいますけど、かわりに、ものすごくたくさんの種を残すんです。だから…」
 一呼吸置いて、さらに小さな声で、桑原がつぶやく。
「だから、そんな悲しそうな顔、しないで下さい。雪菜さん」
 海籐が喫茶店のドアを開けると、ドアについた鈴がからんと鳴った。
 だからその後、雪菜が何を言ったのか蔵馬にはわからなかったが、普段と変わらぬ笑顔で、花壇を見下ろせる窓際の席に腰を下ろした彼と彼女に、蔵馬はほんのりと胸が熱くなった。
「俺、ボーリング行きたいんだけどよ。勉強ばっかで全然、運動してねーから」
「ああ、いいよ。でも雪菜ちゃんってボーリングできるの? ボール持てなそうだなあ……」
 店員にコーヒーとアイスティーを注文し、休日の午後の過ごし方を相談する桑原と海籐。
 蔵馬は二人の会話を聞きながら、またしても彼の斜め前に座っている雪菜の横顔に、こっそり視線を移した。
 窓ガラスに片手をあて、眼下に広がる黄色い絨毯に夢中になっている彼女。
 太陽に向かって堂々と頭をもたげるその花は、吹きすさぶ冷たい嵐に耐えながら、彼女がずっと求めていたものなのだろう。
 自分の足で歩き出した彼女を待ち受けているのは、幸せな出来事だけではないはずだ。
 それでもたくさんの仲間達に見守られながら、これから先、たくましく生きていくだろう彼女を思い、蔵馬は目を細めた。
 そして、もう一人。
 蔵馬の向かいで楽しそうにはしゃぐ桑原は、もう数年間、恋焦がれたように太陽をみつめるひまわりのごとく、彼女を想い続けている。
 時に優しく、時に厳しく仲間を思いやれる彼の人柄に、彼女はどんなにか癒され、励まされたことだろう。けれど、だからといって彼の長い片思いが実るかというと、これは別の話で。
 さて、どうなることやら。
 雲ひとつない空に残暑の厳しさを感じながら、来年の夏、桑原家の庭に咲きほこるであろうひまわりの花を見てみたいと、蔵馬は思った。





end


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★Thank-you note★
い、いいい頂いてしまいました! 初めて人様から頂き物作品を授かりました!
「キリリク+バースデー+残暑お見舞い」ということで、ゆかりさんが城菜のことだけを考えて書き下ろしてくださった、宝物作品です。
ゆかりさんのサイトではキリリクなんか募集されていらっしゃらないのですが、20000を踏んだ瞬間緊張して「こ、これは報告せねば!」と思ってメールしたところ、なんとこのような贈り物を頂いてしまったという迷惑なファン・城菜。しかもその後も、日々無駄に21234・23333・23456等のキリ番めいたものを着々とゲットしているストーカー・城菜。私の交友の狭さと深さを物語るストーリーがこの作品の裏にはあるのですフフフ。

ちなみにヒマワリは私の好きな花です。
ヒマワリに注がれる雪菜ちゃんの熱い視線が目に浮かぶようで印象的…。きっと大きな瞳を潤ませて、じっと見てたんだろうな。
そして、文中にもあったように桑ちゃんはまさにヒマワリのような男。
桑ちゃんと雪菜ちゃんは「出会うべくしてであった二人」…運命的なものまで感じてしまいました。
始まりは指令ビデオを見た桑ちゃんの一方的な一目ぼれだったけどね!(そして今でも一方的なのは多分変わっていないだろうと…)

今回蔵馬が雪菜ちゃんに対して心の中で言っている台詞、「自分の足で歩き出した彼女を待ち受けているのは、幸せな出来事だけではないはずだ」
人生の厳しさを知る者の言葉だなと思いました。
もちろん雪菜ちゃんには幸せで居てほしいけど、時には混乱したり悩んだりすることだってあるんじゃないだろうか。
そうやってたくましく生きていく雪菜ちゃんに、はからずも自分の姿を重ねたりして(明らかに深読みしすぎですが)、勝手に感情移入してしまった場面でした。

それにしても海藤君、「表紙が子羊の皮でできたぶあつい本」って一体何の本読んでんスか? 怪しい古文書かもな、彼のことだし。

ゆかりさん、こんなアホ城菜のために一生懸命書いてくださって、本当にありがとうございました!感謝感激デス!!


ちなみに、随分前に書いた城菜の駄小説「夕陽と海」が、奇遇にもこの小説の続き物に思えなくもないです。
「午後を四人で過ごした後、蔵馬と海藤君が桑ちゃんたちを二人きりにするためにどこかへフケた」ということにすれば完璧に繋がりますのでお試しを!(笑)



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